亡き王女のためのパヴァーヌ
"目を瞑れば見えない音色がキャンパスに塗られた絵の具のようにゆっくり踊る"
今から何百年も前、この曲は誕生した。
悲しいタッチで全体を彩る音楽だけど、僕はこのシーンの生い立ちが前向きである事を聞いたことがある。
浮かび上がるのは少女の楽しい姿。
ほとんど予想の域だし、きっとこの曲を創った意図なんてわからないだろうけど、
この曲から出る幼女の健気さと人生の残酷さが入り乱れているように感じている。
昔の人も今の人も2千年の歴史のなかであんまり変わっていない。
誰だって悲しいと思うし、嫉妬に対して同じような憎悪があるし、誰かを失くせば悲しいと思う。
ホモ=サピエンスという括りから私たちは抜け出せていない。
だから良いこともある。
今の社会規範がありきたりと思えるのであれば、そこから抜け出す方法を考えているうちは誰も変われない。もう動いている状況を作り出さなくては…
今日の空は星空もなく曇り空。特に大した時間でもなければ、意味のある日ではないと思うのだが、ふとある日のホームを思い出した。
これといった日でもない。でもいつかも忘れてしまったある夜のホームである。
誰かと待ち合わせをしていたホーム。中々その人は来なくてどんどん遠くに行ってしまうのがなんだか寂しくていつも以上に気合を入れた様な気がするホーム。
過去の事であり、本当にそんな事があったのかさえも忘れてしまう。
だが、あの日のホームに座って待っていた孤独な瞬間は妙に浮き足立って踊り、心のどこかで高揚が盛り上がっていた。それは今でも思い出す。あの孤独な長い時間。
胸がつん裂くようなあの日のホーム。
僕は過去に囚われた囚人のようにいつまでも囚われている。
きっと亡き王女のためのパヴァーヌも創作者も明るい背景がどこかにあった。
でも現実は違く寂しい曲になってしまった。
人間考える事は同じなんだ。と思う1日だった
今日も家にいた。
そろそろジムを再開したいところだ。
永瀬 巧真